迷走一直線

無趣味オヤジの迷走日記

そうめん食べたいは危険信号?(私の場合)

今週のお題「そうめん」

 

「そうめんが食べたいっ!?」

私は数年前からそうめんが無性に食べたくなるときがある。

そのことに強烈な違和感を感じた。

なぜなら私は、そうめんが大嫌いだったのだ。

 

私が小学生だった頃の話。

お中元で届く大量のそうめんは何年分の量だったのだろうか。

ちょっと貧乏な一般家庭に届くお中元のそうめんが大量なのだ。

親戚やら友達やらただの知り合いから届くお中元だけで、

小学生の夏休みのお昼ご飯が毎日そうめんになるのだ。

 

一週間もせずに飽きる。

「あぁ…またそうめんかぁ…」と、ついこぼしてしまい、

「こんなにそうめんばっかりあるのに文句言うな

と、怒鳴られたことも何度もある。

そして怒られたくないから文句を言わずに無言で毎日食べていた。

 

味を変えてみよう! 

毎日同じめんつゆにつけて食べるそうめんを

少しでもおいしく食べようと工夫するようになった。

卵を入れたり、醤油をかけてみたり、カレーをかけたり、

焼き肉のたれをかけたりと毎日工夫をして食べた。

 

カレーはもちろん美味しかったが、以外にも

焼き肉のたれは美味しかったのを覚えている。かけすぎ注意ではあったが。

他にも醤油マヨネーズやキムチと一緒に食べたりが美味しかった。 

だが毎日食べていると工夫にも限界があり、飽きてきた。

結局は普通の食べ方に戻り、毎日見れば見るほどイヤになっていった。

 

子供の頃にイヤというほど食べたせいもあり、

大人になってからは一切食べないし、

まったく食べたいと思わなかったそうめんがなぜか無性に

食べたくなるときがある。意味がわからず困惑した。

『食べるべきか、食べないべきか…それが問題だ…。』

まるでシェイクスピアのようである。

あほか。と自分にツッコミながらずーっと考えていた。

 

なぜそうめんが食べたいのか? 

きっかけは以前放送していた旅番組でそうめんを食べている人に

「そうめん噛むなよ!」というナレーションが何度も入ったのを見て

『そうめんって噛まずに食べるものなのか?』と疑問に思ったことだった。

検索してみると、粉ものだから噛まなくても大丈夫と言っている人がいるが、

噛んだほうがいいという意見のほうが多かった。

それ以来あんなに嫌いだったそうめんに何故か少し興味を持った。

 そして、無性に食べたくなる時が急に訪れる。

 

『本当に食べたいのか?』という自問自答を

  何度も繰り返してわかってきたこと

『食べたいなら食べればいいじゃん』という気持ちと、

『あんなに嫌いだったのに食べたい意味が分からない』

という気持ちで行ったり来たりになる。

くだらないことを気にするのはやめようと思えば思うほど気になる。

そして、考え続けても分からないからそうめんを食べたくなる時の状態の

自分を観察するようにしてみた。

そしてなんとなくわかってきた。

 

ストレスが限界に達すると食事で噛むのもイヤになる

ということらしい。

 ”食べ物を噛むことすらストレスに感じるほど疲れている”というシグナルを

なんとも本人に分かりづらく伝えてくれていたのだ。

もっと分かりやすく伝えてくれればいいのに…。気付くのに2年もかかった。

 

それ以来「そうめんが食べたい!?」

そう思った瞬間に”疲れてる”と認識をするようになった。

私は体調を崩すまで働き続けるタイプで、 鈍感で自分の疲れやストレスに

まったく気付かない。頑張り屋さんではなく、ただの鈍感野郎なのだ。

 

そうめんが食べたい時の症状は

  1. やる気がない・なにもしたくない
  2. イライラしている
  3. 注意力散漫で凡ミスが多い

 これだけの症状があるんだから気付けよと自分でも思うが、

鈍感な私は気付けないのだ。

そうめんが食べたくならなければ、いまだに気付けていないと思う。

なぜなら、私は今でもこの感覚に救われているのだ。

大嫌いだったそうめんに今では感謝しているほど助かっている。

食べてないけどね…

 

今年はそうめんに挑戦してみようかな …